千切屋のはじまり
千切屋の創業は享保10年(西暦1725年)2月3日
初代 長野与兵衛忠雅が本家勝屋より分家を許され 現在の所在地に置いて、裃、麻、風呂敷などを商ったことがはじまりです。
長野家は明治維新まで、小田原候の御用商人として出入りを許されるなど 名実ともに大きく商いを広げてゆきました。
明治維新後はいち早く御召しを取扱い、 卸問屋では初めてトップを切って明治42年3月に新柄陳列会を開催するなど 時流に先駆けリード・オフ・マンとして活躍してまいりました。
昭和4年2月、販路の拡大に伴い東京店を日本橋に開設しました。
昭和4年9月に千切屋の最大の催事である第1回羽衣選裳会を開催、 それを機に昭和5年には「羽衣」を商標登録出願し、翌年登録認可され 羽衣の名称が全国に知られることとなりました。
昭和17年10月1日に株式会社長野商店設立、昭和19年に現名称の千切屋株式会社改称致しました。
「ちきり」とは織機に経糸をかける丸い心棒の横にある四角い具のことで、 創業時に立ち返って、歴史あるその名称を社名と致しました。
昭和27年8月には「羽衣染織美術研究会」が発足、染織会の錚錚たる会員による作家陳列会で、 「作家ものの千切屋」と呼ばれる所以となりました。 以後、千切屋はいつの時代にも本物と呼べる 時代が求める呉服を提供してまいりました。
「羽衣」ブランドのもと、常に品質の向上と技術の研鑽に努め、 呉服業界きっての老舗として、オリジナルの逸品呉服、工芸作家作品を中心に 積極的な制作活動を展開しています。